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<B>理論は理想をどう語り得るか</B><BR><BR> ―読者の方からの反応に寄せて5―</div> 『理論は理想をどう語り得るか
―読者の方からの反応に寄せて5―



はじめに

 1 総論―「イマジン」の論理の陥穽―

2 宗教止揚の問題

3 国家死滅の問題

4 分業止揚の問題

付1 ―ヘーゲル・フォイエルバッハ・マルクスにおける<自由>の問題―

付2 ―滝村のマルクス批判の思想的意味―/a>

【注釈】



3 国家の死滅の問題



次に、国家死滅論の問題について。
『世紀末』で最初に出てきた国家死滅不可能論は、90年代になって「突然」生まれたというより、実は、「国家論大綱」を構想し始めた初期の頃(70年代前半)から萌芽的に潜在していて、70年代中期以降の理論的高度化で顕在化し、三権分立論が完成した70年代後半ごろには、もう理論的結論として出来上がっていると見ることが出来ます。
 90年代に国家の消滅の不可能性に言及したのは、マルクス主義やマルクス・エンゲルスへの露骨な批判は70年代80年代にはさしさわりがあった(左翼系読者への影響とか混乱とかを考慮したという、はっきりいって「いかがなものか」と思える純然たる学問外的事情・営業戦略的事情で発表を差し控えていた)ということに過ぎないのでしょう。
 私は、『唯物史観と国家理論』を繰り返し読んでいた二十年ほど前、滝村国家論が、『国家論大綱』に述べられているような結論に論理必然的に行き着くだろうと、気づきました。こりゃあいずれマルクス主義批判までいくな……と。
  以下、この点について述べたいと思います。

 滝村が<唯物史観>を、世界史の発展史観を基礎とする<社会構成理論>として明瞭に自覚的に、方法的・原理的前提として駆使するようになったのは、『北一輝』以降、とりわけ76年「アジア的国家の論理構造」その他の歴史理論的諸論文以降でしょう。
「国家論大綱」を構想し、その実質的作業を遂行する70年代後半の原理的作業においても、そしてまた、その理論的飛躍を可能にした70年代中期の歴史理論的作業においても、<社会構成理論>が基底的な方法的・原理的ベースになっている。
 もっと遡れば、そもそも、滝村は<広義の国家>論の提起というかたちで出発していて、この<広義の国家>は、<社会構成>という実体的な枠組み、とりわけ「政治的法制的上部構造」を<政治的社会構成>(初期の言い方では「広義の国家」)として論理的に規定されている。
  滝村の国家死滅不可能論は、この<社会構成>消滅不可能論として読まなければならないでしょう。
 これを、『マルクス主義国家論』段階からの発展として捉えれば、マルクス主義的階級国家論の別表現である「国家=幻想の共同性」論の止揚ということでもあります マルクスの市民社会―国家論では、「市民」が市民社会構成員としての<私人>と、国家構成員としての<公民>に分裂して現れると捉えている。
 <公民>として疎外された幻想的な<普遍性・共同性>を、止揚克服しするために、市民社会という実在的土台を変革し、人間の<社会的=協働的本質>に相応しい調和的・協働社会へと革命的に変革しなかればならない。この「公私の分裂」の<止揚>という発想に立つ限り、国家はしょせん「幻想の共同性」(『ド・イデ』)に過ぎず、その幻想の外化の現実的基礎が消滅すれば消滅するものにすぎない。
 この基本発想を継承するマルクス主義者の国家=幻想の共同体論(たとえば竹内芳郎、廣松渉)では、その「共同体」を、<社会構成>という歴史的に形成された実体的な枠組みとの関連において、論理的に把握してはいない(注5)
  これに対して滝村理論というのは、あえて誇張した言い方をすれば、

<社会構成論>に始まり<社会構成論>に終わる

 のであって、<世界史>的国家と社会の理論的解析の中で把持された、<社会構成>という実体的枠組みの理論的把握のレベルで、マルクス・マルクス主義批判も、為されている。
 滝村理論では、<社会>を、その抽象的一般的な<本質>論的な社会観レベル(社会とは、諸個人が<労働の対象化>において現実的に結合し、肉体的にも精神的にも相互に創り合う<生活の生産>関係の総体である)で把握することそれ自体に、意味があるのではない。

[  <社会>は、gesellschaftレベルの本質論を前提に、socialレベルの実体的な組織的・制度的連関において位置づけられ、その<社会>の内部構成は、<経済的社会構成><政治的社会構成><社会的意識諸形態>へと分化し、文化しつつ連関し合う。
 <社会>は、<経済的社会構成><政治的社会構成><社会的意識諸形態>の三層があってはじめて<社会>として一本である。]

 これが滝村の基本視座であり、<政治的社会構成>は、組織・制度的レベルで捉え返せば、<統一的政治秩序>ないしは「広義の国家」です。
 そして、「広義の国家」は、<社会>内外の危機から<社会>を総体として遵守するために、国家権力により法的に統括された「一大政治組織」です(初期の段階の「広義の国家」論では、この「政治組織」という把握にまで到達していなかったといいうのが、滝村自身の反省の弁です)。
 この「一大政治組織」が「幻想の共同体」であるのは、現実の社会的基礎が階級階層的に分裂しているからです。国家権力は、この階級・階層社会を総体として遵守するわけだから、これを<統治>のレベルで見れば、

「国民社会全体の、より大きく幻想的な<政治的共同体>の創出」

 であり、<行政>のレベルで見れば、

「各地域社会の、より小さく幻想的な<政治的共同体>の創出」(下巻189)。

 ということになります。
滝村は、この現実の社会的基礎における階級・階層的差異を止揚しえるか?……将来の具体的な展望は<思想的>には語らない。
 しかし、<社会>というものが、<社会>の内外から不断に押し寄せる様々な危難を完全に消滅させることなど不可能である以上、<社会>内外の危機から<社会>を総体として遵守する「一大政治組織」は消滅せずに維持されるだろうし、「一大政治組織」を幻想的な<政治的共同体>をとして消滅させずに維持していくことだろうという、論理的な推測だけは<理論的>に語っています。
 滝村が、<政治的社会構成><外的国家構成>論を提出した70年代中期以降、国家の死滅の不可能性論へと発展していくのは、その理論的出立地点からいって、必然だったのでしょう。

 この<社会構成>という理論的枠組みは、現実の理論的思想的な諸問題を考える上で、極めて有効な<理論>的かつ<思想>的武器です。
 だいぶ前、自民党の河野太郎が、“これまでの日本は社会主義で悪平等社会だったから、経済的に沈滞した”というった類のマヌケなことをテレビで言っていました。こういう愚論珍論は相手にするのもあほらしいのですが、しかし、こういう愚論珍論の底に流れる方法的発想と、その通俗的強力さには、留意しておく必要があるだろう。学者研究者の間でも、河野みたいなあほな言い方ではなく、学術的学問的に飾った言葉で、しかし中味は河野太郎とどっこいどっこいの議論がなされ、またそれが世間ではけっこう拝聴されたりしていますから。
 河野の発想というのは、日本経済内部のある一定の現象、たとえば、日本型官僚社会の極端な官尊民卑体質、行政官庁による強力な行政指導、業界団体の非競争的な談合もたれあい体質、公務員の親方日の丸的なぐうたらさなどを念頭におき、その諸現象が孕む“社会主義指令経済”<的>な要素をスポット的に捉え抽出し、その“社会主義指令経済”<的>な要素を、ソ連や中国などの社会主義指令経済の病理、非効率・非合理・悪しき平等主義などの諸要素と比較して,“社会主義”的とレッテル貼りをする手法です。
 わたしは、こういう発想を、要素論的スタンプ発想と名付けたい(事象Aから抽出した諸要素を、別のまったく本質の異なる事象Bにぺたッと押しつける)。この手の発想でいけば、古代オリエントの専制王朝だって中華帝国だって、ソ連や中国に共通する“社会主義”的な諸要素を発見できるがゆえに、“社会主義”<的>ということになってしまう。
 しかし、「社会主義」は、現実の歴史的社会の<社会構成原理>であり、この<社会構成原理>に基づき編成された社会が「社会主義社会」であるわけで、日本のように「自由主義」を<社会構成原理>とする社会とは、まったく根本原理が違う。
 要素論的スタンプ発想では、この<原理>の違い、そして<原理>が異なるがゆえにその<社会>としての政治的・経済的編成形態がまったく異なっているという、<社会構成>としての実体的な枠組みを捉えられない。
 滝村理論の<社会構成>という実体的な枠組みは、様々なレベルで浮かんでは消える要素論的な通俗発想、通俗的であるがゆえに広範な理論的影響を及ぼし得る発想を、根底から批判する理論的また思想的批判の<理論的準拠枠>として、有効な武器になりえるとわたしは思います。





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