滝村隆一は『国家論大綱』で、かなりシビアな三浦つとむ評価を下している。
「……彼の学的本領は言語学にあり、マルクス主義者としての本領は、エンゲルス晩年の二〜三の小冊子から摘み出した『弁証法神学』の、啓蒙的解説にあった」
「三浦によるマルクス主義の啓蒙的解説は、いわば片手間の余技にすぎず、もちろん、社会的諸学への影響もまったくない。そこに内在する根本的錯誤について、わざわざ取り上げる必要もなかった」(『大綱』上巻331頁)
こう述べた上で、自分が「三浦の後継者」とか「三浦理論の完成者」というのは「とんでもないデマと誤解」であると明言している。
滝村の三浦評価は正しくもあり間違ってもいる、というのが本当のところであろう。
まず、三浦の「マルクス主義者としての本領」が「弁証法神学」の「啓蒙的解説」であったというのは、評価としてやや公正さを欠いている。
たしかに、三浦の『弁証法とはどういう科学か』のような弁証法啓蒙書の系列が、「社会的諸学」に直接なんらかの影響を及ぼしたという事実は、寡聞にして知らない。しかし三浦には、マルクス・エンゲルス・ディーツゲン・レーニンなどの古典諸文献への鋭い読みに裏打ちされた、「官許マルクス主義批判」がある。著作としては『マルクス主義の基礎』『レーニンから疑え』『毛沢東思想の系図』『マルクス主義の復原』『マルクス主義と情報化社会』など。『大衆組織の理論』『指導者の理論』のような組織論・運動論上の業績も、現在でも読まれるべき価値がある。
もちろん、滝村の水準から見れば、三浦の「官許マルクス主義」批判も「文献本質論レベル」のものにすぎず、その「社会本質論」も唯物史観理解も、本格的な学的水準に達していないということになるだろう。 特に、
「(三浦の「社会本質論」が)社会構成論と正当に関連づけられていない」
「社会的事象が、直接には歴史的事象、それも個別歴史[社会]的事象としてしか、存在し得ないことを、理解できなかった」(上巻316〜7頁)
という批判は注目すべきものである。
ヘーゲリアン・マルクシズム系統の「社会本質論」それ自体は、一般的・抽象的レベルで正しい。しかし、 <労働の対象化>において肉体的にも相互に創り合う本質的関係という、一般的・抽象的な<労働連関>論レベルでは、実体的な<社会構成>の枠組みは、論理的に捨象(止揚ではなく)されている。
この理論的把握を、その一般性・抽象性のレベルのまま、思想的またイデオロギー的方向へ一気に跳躍させると、「プロレタリアートに祖国なし!」と言う風に、<社会構成体>として歴史的現実的に厳存する実体的枠組みを、無視することにならざるをえない。
とりわけ、社会の全体が<政治的・法的構成体>(国家)へと組織化されているという組織・制度的枠組みの軽視は、政治思想的には国家論・政治学の不在となって現れ(特に国家権力の制度的構成形態・三権分立論への理論的無理解が決定的に作動して)、政治実践的には「社会主義」専制国家の登場という最悪の人類史的悲惨を帰結した。
社会というものは、「社会一般」として存在するものではなく、現実具体的な<社会構成体>として実存する。現実の<社会構成体>は、経済的社会構成・政治的社会構成・精神文化的諸形態へと構造的に分化し、分化しつつ相互に連関するかたちで実存する。したがって、一般的抽象的な「社会本質論」を提出しても、それだけでは、現実の社会を学的に解明したことにならない。
これはちょうど、弁証法を「弁証法一般」としてそれ自体ふりまわしても、なんの意味がないということと、論理的には同一なのである。
以上の滝村の三浦(やブハーリンその他のマルクス主義者)への批判は、決定的致命的なものである。しかし、「言語学が本領」の三浦にそんな批判をぶつけるのは、ちょっと酷ではあるまいか?……。
「本格的な社会科学者」でないにも関わらず、三浦は、社会科学で飯を食っていた当時のマルクス主義者にはできない一定の文献学的成果を上げているのであって、この点は、きちんと評価しなければならない。三浦の「マルクス主義者としての本領」、その「社会的諸学への影響」を云々するのであれば、「弁証法神学」の「啓蒙的解説」ではなく、三浦の「官許マルクス主義」批判、そこで展開された「国家意志説」や大衆組織論・運動論を、具体的に問題にすべきなのである。
そう考えていけば、「社会的諸学への影響もまったくない」というのも違ってくる。三浦がマルクス・エンゲルスの古典から学んだ「国家権力の特質をイデオロギー的権力として把握する」発想は、「社会諸学」としての実証史学に決定的な影響を与えている。原口清『戊辰戦争』がそれである(『胸中にあり火の柱』「『マルクス主義の基礎』と『戊辰戦争』」明石書店)。
マルクス主義者・三浦つとむは、科学者・三浦と哲学者・三浦の二つの貌が相互に絡み合い、分かち難く結びついている。“科学者・三浦の理論的側面は良いが、哲学者・三浦の思想・イデオロギー的側面は良くない……”などと、<理論>と<思想>の分離発想で単純に処理できないところに、三浦評価の厄介さがある。理論家・三浦の理論的徹底性が、むしろ逆に理論家としての甘さを招来し、理論家としての甘さが、マルクス主義者・三浦の思想的・イデオロギー的甘さと絡み合っていたりするからだ。
われわれは、そういう三浦評価の厄介さを十分に弁え、科学者・三浦と哲学者・三浦の二つの貌を機械的に切断することなく区別と関連において位置付け直し、その上で、科学者・三浦の業績と<独学者>としての学問精神に学ぶ必要があるだろう。
三浦は、「哲学はヘーゲルをもって終焉した」というマルクス・エンゲルスの見解の断固たる支持者であり、哲学不要論の立場を終生堅持した。 しかし、その活動初期から哲学者扱いされ、「何が専門かと質問されても『なんでも屋』でどれに決めていいか分からない状態なので、やむなく哲学者という名前に甘んじなければならなかった」(『胸中にあり火の柱』307頁))。
単に肩書きの問題にとどまらず、マルクス主義者としての三浦は、言語学以外の分野、特に、具体的な歴史的社会的事象やイデオロギー的諸問題の「解釈」ということになると、「哲学者」的に悪しき面が現れることも多かった。エンゲルスの「弁証法の三大法則」や、あるいは、自己が開拓した意志・規範論を、歴史的社会的事象やイデオロギー的諸問題に押しつけ解釈するという、哲学的アプリオリズムをしばしば露呈させたのである。
これは実に皮肉なことであった。三浦ほど、<個別科学者>としての立場から、マルクス主義哲学とその哲学的アプリオリズムを排撃した人間はいなかったのだから。
哲学者・三浦の限界を踏まえて滝村の発言を考えてみると、その三浦評価は、マルクス主義哲学とそのアプリオリズムを退ける科学者・三浦の学統を踏まえたものであることに気付かされる。
三浦の「マルクス主義者としての業績」を「エンゲルスの弁証法神学の啓蒙的解説」だけに限定できないという留保を付けた上で、「三浦理論の完成者」「後継者」ではないという滝村発言を、三浦「哲学」と滝村国家論との<不連続性>を主張したものと捉えれば、けっして間違ってはいないのである。
この<不連続性>の意味を私なりに解読すれば、
[ 科学者・三浦つとむの学的本領はあくまでも言語学にある。したがって、「三浦理論の後継者」とか「三浦理論の完成者」という称号は、科学者・三浦の学的継承という厳密なレベルで考える限り、言語学系列の継承者にこそ相応しい。
そこまで厳密に学的継承を考えるなら、自分のような社会科学者・政治学者を、「三浦理論の後継者」とか「三浦理論の完成者」などというのは、いささか筋が違う。
また、自分の国家論は、三浦のエンゲルス弁証法を、まず徹底的にしっかり学んで、それを自家薬籠中のものにし、それを歴史や社会に当てはめるような、程度の低い哲学的アプリオリズムではない。 ]
ということになるだろう。こういう意味でなら、滝村の主張はまったく正しい。
滝村の仕事を、初期の未熟な段階(『革命とコンミューン』『マルクス主義国家論』)から、『唯物史観と国家理論』『国家の本質と起源』『国家論をめぐる論戦』の中間段階、『国家論大綱』の最終段階まで注意深く見ていけば、彼の学的研鑚が、まずは「弁証法の三大法則」をしっかり学び、それを国家論に“適用”したというような、マルクス主義哲学者風の学的修行コースを辿ったものではないことが、明瞭に見て取れる。滝村はその最初期の頃から、事象の内部<構造>的解明と<本質>規定の抽出というレベルで「弁証法」を問題にしているのであって、「三大法則」を直接の方法的指針としていたわけではない。
滝村が三浦「哲学」の「完成者」「継承者」ではないというのは、そういう意味なのである。
では、科学者・三浦の業績の継承者・完成者ではないのか?……三浦理論の<意志・規範>論を継承しているのではないか?……という問題に関しては、別稿「社会科学と精神科学の方法的差異」で、自分なりの考えを提示しておいた。
滝村の「社会的規範」論は、紛れもなく三浦の意志・規範論の継承である。しかし、異なる領域の研究者が、自分のフィールドを越えて学的影響を被る場合、そう簡単に、「継承者」とか「完成者」と言って済ませておけない、重大な問題を孕んでいる。偉大な言語学者が開拓した意志・規範論を、後続の意欲的な言語学者が継承するケースと異なり、フィールドの異なる社会科学者が、自己の社会的規範論へと継承する場合には、<継承性>とともに、一つの<断絶性>が刻印される。滝村が、自分は三浦理論の「後継者」に非ずという場合、この<断絶性>の一面を極端に誇張しているのである。
最後に、『弁証法はどういう科学か』を頂点とする三浦の弁証法啓蒙書についても、簡単に触れておきたい。
『弁証法とはどういう科学か』は、三浦の学的研鑽とマルクス主義文献解釈をすべて踏まえ、その全蓄積のエキスをぎゅッと絞り練り込んだ啓蒙書である。「弁証法の三大法則」はどういうものか?、その概略を知る上では有益なもので、初学者がその学びにおいてまずは眼を通しておくべきものである。
しかし、残念ながら、三浦の本当の実力、真の弁証法的能力を知るには、些か不向きな書物であるのもまた確かである。初学者向きに書かれているがゆえに、逆に、三浦の真の弁証法的実力を見誤りかねず、「弁証法の三大法則」に還元できない<弁証法的方法>の精髄を捉え難い……という意味で初学者向きではないという、弁証法的皮肉に満ちた書といえるかもしれない。
『弁証法はどういう科学か』は、「弁証法の三大法則」を例証するために歴史的・社会的事象、イデオロギー的諸問題、コトワザ格言の類まで総動員する例証主義的スタイルを取っている。これは、急激に膨張する新興宗教組織を意識しつつ、弁証法を入り口にして、意欲的な勤労青年子女をマルクス主義に誘うという基本モチーフから、必然化されたものである。
啓蒙書である以上、中卒の青年子女でも理解できるよう意を払った叙述にしなければならない。そこで、身近な生活の諸問題に“適用”可能なレベルで「三大法則」が駆使されることになり、どうしても、「三大法則」を現実に“アテハメ”て、なんとなく分かった気分にさせる……という哲学的アプリオリズムの弊害は、免れがたかったのである。これは初学者向けの入門書としては実に困ったことであった。
先にも述べたように、マルクス主義者・三浦つとむは、科学者・三浦と哲学者・三浦の二つの貌が分かち結びついている。『弁証法はどういう科学か』の読者は、三浦の弁証法的実力の発揮された箇所と、通俗的な哲学的アプリオリズムの箇所とを、論理的に腑分けしつつ読み進まなければならない。
しかし、そもそも初学者に、そんな高度な論理的切開などできるわけもない。この切開ができないまま『弁証法はどういう科学か』を学んでも、コトワザ格言の類に即して弁証法を理解するとか、直接眼に見える事象の現象的連関・運動に即して弁証法を云々するというレベルに、止まらざるをえない。
結局最後は、“弁証法なんて単なる言葉の遊びじゃあないか……”とか、“世界の一切は絶えず変化し生成−発展−消滅の運動過程にあるなんて、んなもん、当たり前だ! 「弁証法」なんて小難しい理屈を使わなくても、諸行無常の一言で済む”と見切りをつけて、弁証法の学びから離れて終りということになりかねない。
これまで『弁証法はどういう科学』を読んで弁証法を学ぼうと志して挫折した人は数多いが、その人たちの能力不足を非難しても無意味である。そもそもの責任は、やはり、初学者向きに書かれているが故にかえって初学者向きではないという、三浦の啓蒙的著述の根本性格にあるのだから。
私個人としては、学問的成果を広く大衆のものにしようとした三浦の基本モチーフには(自分でもよく理解できずに小難しい理屈を唱えるだけの、アカデミズムの講壇哲学者などと比べ)、圧倒的な共感と敬意を覚えるし、どんなレベルの人にもその人なりのレベルで分かった気にさせる三浦の文章能力には、畏れさえ感じる。
私自身のことをいえば、誇るべき学歴はないし、IQ80の落ちこぼれだったこともあり、常に大衆の側に立ち独学で理論的研鑽を積んだ三浦には、強烈な魅力を覚えるのだ。
しかし、三浦に共感と敬意を抱き、三浦理論とその学問精神を尊ぶがゆえに、その啓蒙的著述の限界については、きちんと言明しておくべきだと思うのである。