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現代「中華帝国」と中華思想 チベット問題
現代「中華帝国」と中華思想 チベット問題
(1)はじめに ― 現代中国は単なる「中華帝国」ではない ―
(2)現代中国論は「なぜ中国を好きか嫌いか」の自己分析から始まる
(3)中華思想から現代中国を押さえることの<方法>論的問題点
(4)「華夷秩序」の<形式>だけを抽象化・抽出してはならない
(5)香港「一国二制度」は単なる「グレーゾーン」の問題ではない
(6)チベット“解放”の政治思想的<重み>
(7)われわれにいかなる「チベットへの寄与」が可能か?
【補注1 現代中国という奇妙な《イデオロギー的中華帝国》 】
(6)チベット“解放”の政治思想的<重み>
オリンピックイヤーの今年、チベット僧侶たちの抗議行動に中国当局が武力弾圧を仕掛け「これは人民戦争だ!」などと野蛮な本性丸出しにしている最中、テレビに登場した温家宝が「ダライラマ一派」を罵る画面を見た。印象に残っているのは、温の次のようなセリフだった(酔っぱらって見ていたので不正確かもしれないが)。
チベットでは人権抑圧など断じてない。民族の自決自治権も、宗教の自由も保障している。経済的援助もし、チベット族の生活水準も向上し、チベットは封建的農奴制のくびきから脱し、確実に発展している。それなのに、なんで騒ぐのか?
温の表情に嘘は微塵も感じられなかった。本気でそう思っているというのが画面から伝わってきた。
わたしは、チベット問題の一番のやっかいさというか、底の知れないほんとうの恐ろしさは、温をはじめ中国共産党首脳部が、自分たち漢民族が異民族への侵略支配と民族浄化の悪業を為しているという自覚がまるでない、それどころか、いろいろ欠陥失敗はあったにしろ歴史に残る偉大な善行を為していると、こころの底から信じ誇っているところにこそあると思う。
“俺たち共産党は、祭政一致の無知蒙昧なチベット族を解放してやり、遅れた封建的農奴制的停滞と悲惨から引き上げ、人民が主人公になる社会主義への大道を歩む進歩勢力の陣営に加えてやった。
そりゃあまあ、解放後に百万くらいは「ポア」しちゃったかもしんないけど。だけど、本土じゃあ数千万から死んでるんだから。それにくりゃべりゃ俺たちもずいぶん寛大なもんだろ?”
だいたいこんなところではないだろうか、中国共産党首脳のぶっちゃけた本音は(注8)。
なにしろ、中国共産党の政治思想イデオロギーからみれば、チベット「解放」は「善」以外のなにものでもない。その「解放」の試行錯誤の過程でどれほどの蛮行と鬼畜の所業が繰り広げられようと、それは「反省」すべき「共産主義解放の試行錯誤上の失敗」ではあっても、「共産主義そのものの失敗」ではないのである。
そもそも中国共産党というのは、中国人民を“解放”するために存在する政党である。「そんなのよけいなお世話だよ!」と思う中国人民も多かろうが、とにかくそういう存在である。
中国共産党による中国人民への“解放”と政治的指導支配は、「中国人民及び中国周辺の被抑圧人民を解放し人類史の未来を切り開く進歩的陣営である」というところに、その政治思想イデオロギー上の《正統性》を置いている。中国のチベット解放支配君臨もまた、この進歩的陣営としてのイデオロギー的《正統性》に支配の根拠を有している。中国の公式見解は次の通りである。
「過去のチベットでは、ラマと貴族が農奴から搾取するという、世界で最も暗黒な封建的支配が展開されており、自らそれを改める意志も能力もなかったので、反帝・反封建の立場で覚醒した中国人民を最も正しく代表する中国共産党が貧困農奴を立ち上がらせて封建支配を打破し、祖国の統一と、自らが主人となる社会主義建設への道へと進ませた。それゆえ中国共産党こそ、チベットにおける人権、とりわけ発展の権利を最も擁護するものである」(『人民日報』1997年7月17日)
この「人権」「発展の権利」「自らが主人となる社会主義建設」「反帝・反封建」を、「単なる建前にすぎない」とか「大義名分の美辞麗句」などと軽く見ては絶対にならない。この点は極めて重要である。
ヤクザが「任侠道」の「建前」を捨て去ったら、もはやヤクザはヤクザでなくなる。論理的にはそれと同じことで、共産党がこの「建前」と「大義」を捨て去ったら、共産党は<共産党>でなくなってしまう。それほどこの「解放」という「進歩的」大事業は、マルクス主義者の党(共産党)にとって<重い>ものなのである。
そんな中国共産党の政治思想イデオロギーから見て、チベット人は「宗教というアヘンに溺れる無知蒙昧状態と封建的後進性」に嵌り込んでいる。
中国共産党という「人類史の未来を切り開く進歩的勢力」は、この蒙昧なチベット民族を、迷妄と停滞から「解放」して上げなければならない。この「解放」事業は、中国共産党が「進歩」的勢力として担う「歴史的責務」ですらある(また「中華民族」としての「偉大な事業」でもある)。
先ほど、真顔で「チベットには断じて人権抑圧などない」という温家宝の言葉を紹介したが、彼は、中国共産党こそが「チベットにおける人権、とりわけ発展の権利をもっとも擁護」しているという自負と誇りを込めて言っているのである。
もちろん、ここでの「人権とりわけ発展の権利」は西側でいう「人権」とは異なるレヴェルで使われている。すなわち、「ブルジョワ的人権」とは異なるレヴェルで、人権=<人>民が発展する<権>利という位置づけになる(これは「民主」もそう。民主=人<民>が<主>人公。だから「中華人民共和国」も「朝鮮民主主義共和国」も「民主主義」というわけだ)。
西側諸国にどんなに「人権抑圧!」と批判されても、彼らが「なにを言うか!」と反発するだけで、その批判が届かないのは、「人権」にしろ「民主」にしろ、西側とはまるで異なる水準で位置づけられているからなのである。
ここまで言ってしまえば話は明確になるだろう。
中国共産党にとってチベット独立など断じて認めがたいというのは、偉大な中華帝国を継承する漢民族=中華民族としての誇りと矜持(観念的精神的利害)もあるだろう。
また、その支配収奪による途方もない「実利」(現実的経済的利害)もあるだろう。チベットには世界埋蔵量の半分を占めるリチウムの他、埋蔵量第一位のクロム鉱、同じく第三位の銅山、そして大量のダイヤモンドがある。また観光資源としても有望であるし、漢人入植地でもある。しかもその広大な領土は、核廃棄物のゴミ捨て場として活用できる。しかし単にそれだけではない。
ダライラマ14世の求める「高度な自治」すら「一国二制度」的に認めないのは、「ダライラマ率いるチベット亡命政府の帰還とその統治」を認めることは、まさに中国共産党の「解放」の偉業そのものの根底的否定になるからである(政治思想イデオロギー的利害)。
これは、中国共産党が中国≪共産党≫たることの否定、その政治支配の《政治思想イデオロギー的正統性》の否定に繋がりかねない。事は《中国共産党の存立の根本》のところにに関わるというわけだ。
天安門事件のとき、学生たちの武力弾圧を強行に主張する老政治局員は叫んだという。「学生どもの反革命的ブルジョワ民主化要求など認めたら、革命に命を捧げた地下の同志たちに相すまぬ」と。この論理と感覚は、チベット問題においても同じであろう。「ダライラマ一味の反革命的独立要求、封建的農奴制の復活など認めては、チベット解放に命を捧げた同志諸君に相すまぬ」(なんだか東条英機みたいだな。「大陸からの撤兵は英霊たちに相済まぬ」)。
だから、もし中国がチベットを手放す可能性があるとしたら、手放さなければ中国共産党の存在それ自体が危うくなるのっぴきならぬ非常事態の場合である(たとえばブレスト・リトフスク条約でレーニンがポーランド等を放棄しフィンランドやウクライナを自治国家とせざるをえなかったケースがそうである)。あるいは、共産党が「ブルジョワ民主化」の道を歩まざるをえなくなり、共産党が《共産主義イデオロギー》政党で無くなるか、または無くなりつつある段階である(ソ連崩壊のパンドラの箱だったペレストロイカとグラスノスチの進展が、ソ連帝国の弛緩、連邦構成諸邦の分解過程を促していったケースがそうである)。
(注8)日本共産党も本音ではそう認めてるだろう。連中の理屈からいえば当然そうなるのだから。“ソ連の崩壊は喜ばしい”などと白々しいことを言う宮顕とか不破哲三(これほど「党官僚」とか「スタ官」という言葉が似合う雰囲気の人は珍しい)などは、口が裂けても言わないだろうが。
しかし、ラテン系の率直さと革命家の青臭さを今も残すカストロのインタビューを読むと、さすがに露骨には言わないが、発言のはしばしからこれに類する本音が滲んでくる。カストロは「共産主義的解放の試行錯誤上の失敗」はそのまま即「共産主義そのものの失敗」ではないという原則的立場を堅持しているから、どんなにソ連・中国などの大量飢餓・虐殺粛清を持ち出されてもびくともしない。
もしもインタビューアーが「共産党支配地域の犠牲者の累計って、第二次大戦の死者を軽く越えるんですが?」と質問したならば、フィデル・カストロは「帝国主義諸国の犠牲者はもっと多い」と色をなして怒りそうだ。しかし、さらに徹底的に突っ込まれたら、困ったような顔で「necessary murder」と答えるかもしれない(スペイン語で)。まあありえない話だが。
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