目次
【 随想 現実と論理 ― 南京事件問題に寄せて ― 】(改訂版)
@ 「南京事件にはどこか人の心を狂わせるところがある」
これはある現代史家の言葉です。
南京事件に限らず、現代史学上の問題にして且つ極めて政治的な問題というのは、どうしても、乙に澄ました実証的学問的討議というレベルを超え、論者の思想的イデオロギー的主体性を掛けたノッピキナラナイ「思想闘争」の性格を帯びざるを得ない。それで「どこか人の心を狂わせるところがある」わけです。
わたしは、南京問題について虐殺規模がどうだと語るほど勉強しておらず、この種の問題を論じるというのは、文字通りいろんな意味で、なかなかに難しいことだなあと思っています。
南京事件に関する本で読んだのは概説書数冊と従軍兵士の証言集一冊だけです。代表的な概説書『南京事件』(笠原十九司)すら未読。三浦つとむ流に書斎を持たぬ(持てぬ)図書館派で、南京事件関連本の中で何を読むかは図書館の蔵書に規定されているからです。
そんなわたしが現時点で言えることはせいぜい、南京事件の議論においては、
a)<虐殺>とはなにか?‥を定義した上で、その虐殺規模・被害者数という史実を、実証的学問的に解明・確定する<現代史的・実証史学的>レヴェルの問題
b)おおまかでも虐殺規模・被害者数の実証事実的実相(史実)の確定がなされたとして、さてわれわれは、南京事件ひいてはあの戦争をどう評価すべきか?‥未来に向かっての歴史的教訓をどのように導きだせるのか?‥という<思想的主体的>レヴェルの問題
c)中国側の「軍民30〜40万大屠殺」という主張にたいして、日本はどう<政治的>に対応すべきか?‥という<政治政略的>レヴェルの問題
こういう次元レヴェルの異なる問題きちんと論理的に腑分けし、その上でおのおのの問題の次元の相違を弁えつつリンクさせ(弁証法風に言えば「相対的区別と連関」ってやつですね)、議論を進めていかねばならない‥
という程度のことです。
いわゆる「大虐殺派」と「否定派」の対立は、b)のレヴェルに定位し南京事件を戦争責任論の問題として考える立場(大虐殺派)と、c)のレヴェルに定位し南京事件を外交政略的な問題として考える立場(否定派)の対立であり、そのレヴェルの違いが、そのままa)の実証事実的実相(史実)を照射する<フォーカス>の相違となって現れ、さらには南京事件を巡り中国とどのように向き合い、どうつきあっていくか?‥のスタンスの相違となって現れている。
そういう風に捉えると、理解が容易になるように思います。
A もうだいぶ昔のことですが、いわゆる「大虐殺派」系の南京事件研究者から「十数万はあっても三十万以上はない」という話を聞いたと、友人が語ってくれたことがありました。わたしは、プロの実証史家(それも「大虐殺派」に括られる人)が言うことだから、まあそうなんだろうなあ‥と素直に受け止めました。
その後いくつか概説書を読むと、確かに「大虐殺派」の日本人実証史家で、a)の実証事実的レヴェルで「三十万以上説」を取っている人はいないと知りました。ということは、「南京大虐殺三十万人説」の「否定」ということなら、いわゆる「大虐殺派」も「中間派」も「まぼろし派」も等しく「否定派」ということになるでしょう。国内での実証事実的議論レヴェルでは、十数万規模か、十万以下〜数万規模か、一万前後か、それともゼロ(便衣兵摘発、投降兵・捕虜殺害は処刑であり虐殺にあらず)かを巡り争われているのであって、「三十万」か否かは直接の争点になっているわけではない。
ではなぜ、南京事件は「三十万大虐殺」問題として争点になっているのか?‥というと、「大虐殺派」と「否定派」それぞれに別れて、
「三十万大屠殺」という中国側の公式見解に込められた<政治性>と数字が孕む<象徴性>を、どう受け止めどう対応するのか?‥
というところで対立しているからです。
B「大虐殺派」の笠原十九司は、「中国人の国民的・民族的ファンタジー」としての「三十万人虐殺」というなかなか刺激的な言い方で、「中国政府当局ならびに中国系の人たちの中に、日本の侵略性の象徴として三十万虐殺」があり、この「三十万虐殺」を「動かし難い確定した数字として絶対視するところがある」と述べています(『南京事件と日本人』)。
笠原など「大虐殺派」の場合、こういう「象徴」としての「三十万人大屠殺」(典型的なのがアイリスチャン『レイプ・オブ・南京』で、「三十万人」という数字は広島長崎の原爆被害者数を凌駕するものであり、広島長崎、アウシュビッツと並ぶ戦争犯罪という主張になる)を一応批判しつつ、しかし、それを荒唐無稽と単純に切り捨てるのではなく、そこに被害者としての「民族の感情・感情の記憶」をみていこうというスタンスのようです。
被害者・加害者という彼我の対立を超えるグローバルな「人類史的視点」から、南京事件という戦争犯罪を捉える。中国側(被害者)の「感情の記憶」と日本側(加害者)の「国民的記憶」のギャップを埋め、共通の「歴史的記憶」として再構成していく‥
というスタンス。これは、b)のレヴェルに定位し南京事件を戦争責任論の問題として考える立場から導き出されたものなのでしょう。
C これに対して「否定派」というのは、グローバルな「人類史的視点」とか共通の「歴史的記憶」を言う前に、お前さんたち「大虐殺派」は、中国に関して一つ大事なことを忘れてやしませんか?‥という立場を取ります。
笠原などは、中国側に向かって「より高い人類史的次元に立って、再検討していくよう努力してほしいと思う」などと綺麗事を言うが、そもそも、いま目の前にある<現実の中国>が、そういう「高い人類史的次元」に立てるような国か?‥「新しい世紀に向けて人類の共通認識を形成する道」とか「二十世紀人類史に刻印された戦争の惨事の数々を、完全に消滅させる新しい世界秩序の基盤」などというご立派な理想もけっこうだが、今目の前にいる<現実の中国>が、そんな理想を語るに足る相手でないのは、国内の苛烈な人権抑圧、チベット人虐殺、凄まじい軍拡ぶりをみりゃあ一目瞭然だろう‥
日本への怨念と憎悪を滲ませながら、政治外交レヴェルで歴史カードとして「南京大虐殺」をガンガン使い、官民一体でプロパガンダ攻勢を仕掛けてくる相手にたいして、現実具体的にどう対応するのか、それが問題だ‥。
というわけです。これは、c)のレヴェルに定位し南京事件を外交政略的レヴェルの問題として考える現実的立場ですが、このスタンスは確かに「大虐殺派」の痛いところを突いています。
「大虐殺派」の場合、そういう保守派の批判を受けると、“中国の軍拡はアメリカ帝国主義と日米同盟への対抗であり、80年代以降の日本の右傾化が原因(要するに日本が悪い)”という古くさい左翼の紋切り型で切り返したり、“日本の右翼勢力が南京事件の「国民的記憶」形成を阻害し南京事件を否定するから、中国が南京事件をカードに使い反転攻勢をかけてくるのだ(要するに日本が悪い)”と、中国免責のトーンを滲ませる。
「大虐殺派」というのは、b)のレヴェルに定位し南京事件を戦争責任論の問題として考える理念的立場であり、「人類史的立場」から歴史と現実を眺望する発想であるがゆえに、たとえば、中国のしたたかな外交攻勢とその国益追求剥き出しのリアルな<現実>に、きちんと<フォーカス>を絞ることができていません。
逆に、「否定派」の場合は、c)のレベルに定位し南京事件を中国との政治外交政略レヴェルで考えるがゆえに、そのフォーカスは現に今ある日本と中国であり、日本と中国を超える「人類史的立場」からする<より良き未来への指向性>という発想はないということにもなるわけですが。
D プロの歴史研究者でもなんでもないわたしが南京問題を語るとしたら、いわゆる大虐殺派・中間派・まぼろし派それぞれの代表的な本を何冊かピックアップし、<一読者の立場>からする書評的スタイルで、その本の内容に即して具体的に考察を進め、諸労作を比較検討するところからはじめるでしょう。
そして、虐殺被害者数の算定というような議論に深く入り込むのではなく、「一読者の立場」という限定を自分に課した上で、「一読者の立場」なりの「虐殺」の定義・虐殺規模のおおざっぱな推定(十万単位か数万〜数千かそれともゼロか)を為し、さきに述べた
b)われわれは、あの戦争をどう評価すべきか?‥あの戦争から未来に向かっての歴史的教訓をどのように導きだせるのか?‥という<思想的主体的>レヴェルの問題
に定位して議論を進めていくことになるでしょう。その場合、たとえば、吉田裕『戦後歴史学と戦争責任』などが取り上げている「歴史教育」の問題などにスポットを合わせ、「加害責任」「加害学習」の問題との絡みで論じることから始めるでしょう。その方が<一読者の立場>からすれば、虐殺規模・被害者数の話より有意義だと思うからです。
吉田裕は『戦後歴史学と戦争責任』の中で、目良誠二郎「日清戦争を巡る歴史の選択肢と歴史学・歴史教育」を引用し、教育現場の「加害学習」がもたらす「深刻な問題」に言及しています。
目良誠二郎「日清戦争を巡る歴史の選択肢と歴史学・歴史教育」によれば、戦争加害学習を子供たちにすると、子供たちの反応は大きく分かれる。
「日本(人)はアジアに悪いことをした、日本と日本人であることがイヤになる」という「自虐的」な反応か、「今になって一方的に日本だけ責めるのはおかしい」という「居直り」の反応という対極的なものです。
目良は後者の「居直り」タイプの生徒を「論理的に説得することの困難さ」を率直に認めた上で、次のような反省の弁を述べています。
「要するに、これまでの歴史学研究と歴史教育は、あの歴史的条件の中で、最終的に明治の指導者たちが選択した道以外の現実的な選択肢について、国民(生徒)が納得できるかたちで実証してこなかった(できなかった)。
また、そうした現実的な歴史の選択肢を示さないまま、日本近代のアジアへの侵略を批判すれば批判するほど、場合によっては、一部の国民(生徒)が『じゃあいったいどうすればよかったんだ』という反発を強めてしまったということではないだろうか」
もしわたしが南京問題その他の現代史的諸問題を語るとしたら、こういうところに焦点を合わせて論じることになるでしょう(ここに引用した目良の議論は論理的におかしなところがあるのですが、それは【補論 歴史教育について】で論じます)。南京事件そのものについては、ぜいぜい、小室直樹の投降兵処断の“法学的論理”なんぞ<論理的>に成り立つわきゃあねえ‥と言えるくらいのところです。
E さて、わたしは「この問題に関わるプロパーの研究者たちの業績を、「一読者の立場」による「書評的スタイルで具体的に検討することしかできない」と述べました。
この具体的な「検討」においてわたしが依って立つものは、
わたしがこれまでの人生の中で培ってきた現実的な<感覚>とか<感性>、生活者としてのごく当たり前の<常識>
というようなものです、まずさしあたりは。まちがっても出来合いのアプリオリの「理論」とか「論理」ではありません。 まずさしあたりは、現実的な生活者としての感覚・感性・常識の眼で、南京事件の諸労作を検討していく。わたしは、
南京事件問題にしろなんにしろ、われわれの生きる現代と時間的に近接する近現代史の諸問題において、ごく普通の生活者の現実的な感覚・感性・常識の眼に照らして「オカシイナ、そりゃあ‥」と感じられるような議論は、やっぱりどこか「オカシイ」のだ…
そう捉えた方がいいと考えています。そういう「オカシイ」議論というのは、たいてい、<論理的>な筋道を通そうとして無理に無理を重ねることで、ごく普通の生活者の感覚・感性・常識からかけ離れたものになってしまっているものです。たとえば、小室直樹・渡部昇一『封印の昭和史』を読むと、議論の組み立て方にそんな<論理的>な無理を感じます。
F 小室は法学博士らしいのですが、いかにも法学徒らしく「ハーグ陸戦法規」第一章「交戦者ノ資格」に依りながら、投降兵が「捕虜」になる「法的資格」を厳密に限定し、投降兵の処断を“法的論理”において解釈します。すなわち、
「降伏」もまた一種の「契約」であり、「契約」は降伏側の指揮官が「正式」に降伏を申し入れてはじめて成立する。指揮官がおらずバラバラに敵兵が降伏してきても、それを捕虜として受け入れる義務はない。
わたしは小室直樹という評論家をキャラクターとしてはそんなに嫌いではないのですが、さすがにこれには唖然とし、フリードマンの「麻薬も選択の自由」論を思い出しました(後は「福祉国家は劣悪な遺伝子を助長する」と述べたモノーとか)。
HPの「哲学は数学からその方法を学ぶことはできない」でも述べましたが、近経というのは、数学的に高度になればなるほど、<社会>科学として痩せ細っていくというか、<社会>全体との論理的連関において経済現象を捉えなくなる。
<社会>を経済外的な与件として捨象し(切り捨て)、純粋に<経済>だけを、さらには純粋に<市場>だけを取り上げ、それを数学的手法でもって分析する。<社会>を<経済>という枠組みに切り縮め、<経済>を<市場>に切り縮める。この発想を徹底的に突き詰めていけば、人間の活動というものをすべて<市場>経済レベルでの経済合理性の側面からだけ論じるということになりかねない。
実際、フリードマンなどは、麻薬を禁止せず個人の「選択の自由」に任せるべし(麻薬をやる人間は麻薬の快楽と中毒になるリスクを「合理的」に比較考量して「合理的」に決定しているのだから、その個人の「選択の自由」として認めるべし)なんて電波レベルの話にまで突っ走ってしまう。これはノーベル賞級の学者でもバカはバカなんだなあと見るべきではないでしょう。ノーベル賞級の大秀才だからこそ、己が会得した<論理>に徹頭徹尾忠実で、己の<論理>を純粋に極限まで徹底化するということです。
ノーベル賞の「経済学博士」フリードマンも東大出の「法学博士」小室も同じです。 南京事件の投降兵殺害という歴史的事象を、まず<法律>という枠に嵌め込み、さらに<契約>という議論に枠を狭めていく。その結果、
指揮官の降伏申し込みがない=降伏という契約不成立
↓
投降兵は捕虜ではない
↓
だから捕虜としての扱いをせずに処分しても法的には一応「合法」
なんて話になってしまう。
法律学的な枠組みの中で純粋な“法律の論理”で現実を裁断するというのは、アメリカの悪徳弁護士どもが、法廷でありとあらゆるロジックと手段を駆使して、大多数の普通の生活者の感覚・感性・常識とかけ離れた判決を勝ち取る例と(泥棒が不法侵入した家の床の穴に落ちて骨折し、裁判を起こして被害者から賠償金を得るとか)、手口はよく似ています。しかし小室の“法学の論理”では、悪徳弁護士のように「勝利判決」を勝ち取ることは無理でしょう。
投降兵の処断について、いまの現代の感覚でザンコク!‥とかヒドイ!!と裁断するのは歴史の論じ方としてフェアではないし、わたしも当然そんなことをする立場ではありません。今現在ではなく、あくまでも、
当時の時代的背景の中で<現実的>にどうだったか?‥
と考えます。さらには、その投降兵が具体的にどんな状況下で、どんなかたちで投降してきたのか?‥その投降兵が戦意を喪失し兵器を捨て、ほんとうに降伏を乞うている状態なのか?‥それとも偽りの降伏で反撃の危険性のある敵なのか?‥そういう具体的な態様(内容)を想定しながら、<現実的>に考えます。
小室のやってることは、そういう現実具体的な態様(内容)とはまるで離れたところで、「捕虜の資格」という形式論一本に論点を絞り、その枠組みの中で“純粋”に議論を進めている。ところが、その進め方ときたら、そもそも<法の論理的整合性>を踏まえたものになっていない。
戦時国際法としての条約を一つの<体系>と見るならば、その<体系>内部で<論理的整合性>が保たれるのは、その条約のベースに、ひとつの<法理念>があるからです。条約に盛られたどの条文・条項にも、ベースとなる<法の理念>が脈打っている。そして、どの条文・条項も同じ<法の理念>に裏打ちされているからこそ、それぞれが<論理的に矛盾しない>ようになっている。これを「ハーグ陸戦法規」に即してみていきましょう。
F「ハーグ陸戦法規」というのは、戦争・戦時においては、兵士・捕虜・非戦闘員が人道に反するような非合理不当な殺戮・虐待などの危険に晒される<現実>に鑑み、生まれてきたものです。それは<戦争をルール化する>一つの法的試みであり、そのルール化においては、<戦時においても可能な限り人道的配慮を尊ぶべし>という<人道の理念>を、そもそもの前提的基準としています。いささかヘーゲル的な言い方をすれば、
「ハーグ陸戦法規」においては、<戦時における人道的配慮>という<法理念>が、第一条から第五十六条までの個別具体的な条文・条項という具象的姿形を取って、以て自らの<理念>を顕現している
というわけです(この点はHP「関係=本質把握としての弁証法」「眞理は単純にして複雑である」参照のこと)。
だから小室のように、「陸戦法規」第一条第一章「交戦者ノ資格」の内容から、“捕虜にあらざる投降兵の処置は法的には合法”なんて解釈を,“論理的”に導き出せるわけがない。
たとえ導き出そうとしたって、小室的解釈としての“非捕虜”であろうがなかろうが、投降兵の大量処置は、「兵器捨又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト」を禁ずる「陸戦法規」第二十三条ハ項にひっかかってしまうんですから。
小室が「捕虜の資格」に論点を絞るのは、「ハーグ陸戦法規」第二章第四条「俘虜ハ人道ヲ以テ取扱ハルベシ」を議論の枠組みから吹っ飛ばそうという思惑からですが、そんな<戦時における人道的配慮という法精神>に反する小室的“法解釈”など出来ないように、ちゃんと「陸戦法規」第二十三条ハ項があるわけです。<法の論理的整合性>というのはそういうものなのです。
再び弁証法的な言い方をすれば、<法の論理的整合性>を<論理的>に捉えるためには、
<法律>の個々の具体的な条文・項目を、その法律の背後に控える<法の理念>との大きな媒介的な連関において、統一的・体系的に捉えなければならない
ということになります。小室はここがまるでわかっていないから、その“法学の論理”なる形式論理をもてあそぶ<現実>離れの空理空論にならざるをえない。
小室の“法的論理”など、当時の軍人から一言で粉砕されるでしょう。すなわち、「士道をわからぬ馬鹿者なり!」と。実際、「士道の退廃」を嘆く当時の軍人たちの言葉が当時の資料に残っている。「ハーグ陸戦法規」における「人道的配慮」の<理念>は、古今東西の諸民族の戦争・戦時における<節義>や<徳義>と<内容的>に無縁ではない。【補注】
抵抗する意志を完全に失い無力化した敵兵を武装解除した上で<大量に処分>するというのは、いかに戦時の非常状態とはいえ、日本的に言えばまさに「士道の退廃」なのであって、そんな当時の時代的基準に照らしても、またなによりも当時の国際法においても「ユルサレナイ!」としたら、それは「虐殺」という<歴史的評価>を免れないでしょう。「中国側だってひどい事やっていたではないか!…」というのは、これはまた別の<次元レヴェル>の問題として扱わなければならない。
わたしは、フリードマンにしろ小室にしろ、あるいはマルクス主義者や現代の左翼アナーキストにしろ、アプリオリな<論理>(<市場>や<法律>の論理、あるいは国家なき国境なき宗教なきイマジン的世界の論理)一つに視点を据えて、<現実世界>の解釈にその<論理>を隅々まで貫徹させようとして<現実生活の感性>からどんどん遊離してしまう人たちを見ていると、チェスタートンの言う「狂人の論理」を思い出します。チェスタートン曰く
「狂気とは理性を失った状態ではない。狂気とは理性以外のあらゆるものを失った状態なのだ」
統合失調症の父親が、自分の娘の誕生日プレゼントを買いました。プレゼントは棺桶でした。なぜなら父親は娘が癌で助からないと知ったからです。
<娘は癌→もう直に死ぬ→死んだら棺桶が必要→棺桶をプレゼントするのは実用的→娘喜ぶ>
この<論理>の筋道一本だけが突出し、現実的な感覚・感性・常識という綱から放たれて<論理>だけが脳髄で渦巻いている。哀しい話です。
“法律の論理”であれ“市場の論理”であれ、アプリオリな<論理>を設定しそれを以て歴史と現実を裁断することには、「狂人の論理」にも似た危うさがあります。わたしは、アプリオリに設定した<論理>において無理に無理を重ねる過ちを犯すことで、ごく普通の生活者の感覚・感性・常識からかけ離れたものになってしまうことを、なによりも怖れます。
【補注】
わたしは<戦時における人道的配慮という法の理念>と言いました。
この<法の理念>というものは、われわれが生きる<現実>の生活とは無縁に、人間主体の頭の中にアプリオリに存在するものではありません。
先にも述べたように「ハーグ陸戦法規」は、兵士・捕虜・非戦闘員が人道に反するような非合理不当な殺戮・虐待などの危険に晒される悲惨な戦争の<歴史と現実>の中で、生まれてきたものです。
人類はその戦争と殺戮の長い長い歴史の中で、それぞれの民族がそれぞれの文化の中で、<敗者を憐れみいたわるべし>とか<無用な殺生は慎むべし>というような素朴な意識・観念を自然発生的に生み出してきました。
その時代その時代の人々が、自分たちの生き死ぬ<現実>の中で、個々の具体的な非惨事を直接間接に体験・見聞・記憶し、そういう<現実>に思いを致し、最初は、戦時・戦場での<節義・徳義>のようなかたちで生成発展させ、やがて<慣行・慣習>的なかたちで普遍化し広く定着させていく。そしてある時点で、国際条約という明文的なかたちへと集約する。またしても弁証法的な言い方をしますが、
「ハーグ陸戦法規」の如き戦争に関わる条約の中身(内容)には、
a)<戦時においても可能な限り人道的配慮に心を砕くべし>という<人道の理念>が籠められている
b)そしてその<人道の理念>の中身(内容)には、人間が戦争と殺戮の<歴史と現実>の中で生み出してきた<敗者を憐れみいたわるべし>とか<無用な殺生は慎むべし>というような戦時・戦場における節義・道徳観念が、かたちを変えて現れている、すなわち、<内容>において<止揚>されている(戦時戦場の慣行・慣習・作法のような素朴なかたちを脱し、体系的・包括的な国際法規というかたちへと姿を変えているが、しかしその<内容>は保存されている)
わけです。
このようにみていけば、小室の“法の論理”というものが、「ハーグ陸戦法規」に籠もる<人道の理念>とは無縁なところで、条文の表現をその<内容>において捉えず、単に<形式的>に扱っているだけだというのがわかります。
<内容>を捨象し<形式>だけを取り上げるから、「陸戦法規」第一条「交戦者ノ規定」には、<戦時においても可能な限り人道的配慮に心を砕くべし>という<理念>が籠められていることが見えない。
個々の条文の背後にある<人道の理念>と、個々の条文との<関係>が見えないから、その<人道の理念>の内容に、<敗者を憐れみいたわるべし>とか<無用な殺生は慎むべし>というような戦時・戦場における節義・道徳観念が<内容>的に詰まっている(止揚されている)ことが見えない。
しょせん形式論理では、<法の論理とその現実>を扱えないということです。
G さてわたしはEで、出来合いのアプリオリの「理論」とか「論理」に依拠するのではなく、「まずさしあたりは」現実的な生活者としての感覚・感性・常識の眼で、南京事件の諸労作を検討していくと述べました。
その「検討」の過程で、<論理>が問題になるとすれば、わたしは推理小説ファンですから、推理小説を読んで謎を解いてみようというときの<頭の働かせ方>レヴェルで、事件の真相はどのようなものであったのか?‥ある種の歴史探偵的な視線レベルで、問題になるでしょう。
そして、 自分の<頭の働かせ方>の基底において、わたしがヘーゲルやマルクス、三浦や滝村から学んだものが(直接的にではなく大きく媒介的に、深く静かに)<方法的>に役に立つはずです。わたしがヘーゲル・マルクス・三浦・滝村などの先達から学んだものは、
物事は大きく広い視野をもって、<重層的立体的>にすなわち<体系的>に捉えなければならない
という根本視座でした。<弁証法的>思考というとなにやら難しそうに聞こえますが、なあに実はもの凄く単純な話で(真理は単純である)、
<弁証法的>な思考というのは、物事を平面的並列的に見るのではなく、<重層的立体的>に捉えなければ、物事を<本質的>に見たことにはならないという<方法的>立場であり、そういう<方法的>立場に自覚的でなければならない
ということに尽きます(注1)。A・B・C・D‥それぞれのレヴェルの相違を弁えず平面的並列的多角的に論じるだけではダメで、A・B・C・D‥それぞれのレヴェルの相違を「区別と連関」において重層的立体的に捉えるということです。
そして、そういう<方法的>立場に自覚的になり、現実に真正面から向き合う努力を真剣に積み重ねさえすれば、その能力の高低に関わりなく(<IQ80者の悲哀>を日々噛み締めているわたしのような超鈍才でも)、様々な不毛な論争やらすれ違い議論などのどこが問題で、どういうところで噛み合わなくなっているの?‥くらいはかなり明瞭に捉えられるようになるはずです。南京事件の論者たちの主張のぶつかり合い・対立・矛盾を検討していくとき、物事を<重層的立体的>に捉える視座は、有力な<方法的武器>になるはずです。
H 南京事件に限らず、一般的にいって論争というものは、それが相互に噛み合わないとか、すれ違って議論にならないという場合、たいていは、論者の議論が、それぞれ異なる<レヴェル>の論点をぶつけ合っていることがとても多いと思います。たとえば、
1 論者Aは、<本質的>なレヴェルでの論点を提起しているのに、論者Bは<現象的>なレヴェルでそれを理解し、<現象的>なレヴェルでの論点をぶつけて反駁したりとか、
2 論者Cは全体に関わる話をしなければならないはずなのに「木を見て森を見ず」、論者Dは部分的なレヴェルで細かく細部にフォーカスを合わせなければならないのに、「森を見て木を見ず」状態とか(これは【随想 フォーカスの問題 ― 「格差社会」の捉え方 ― 】で独立に述べるつもりです)。あるいは、
3 論者Eは、<理論的>に扱わねばならない問題を<思想的>レヴェルで取り上げ、自分の主体的な思想イデオロギーやら思い入れ情念を<理論>めかして語る(日本の左翼&サヨクも右翼&ウヨクも、そんな人がもの凄く多い)とか、逆に論者Fは、己の<思想的>主体性が鋭く問われるノッピキナラヌ<思想的>レヴェルの課題を、乙に取り澄ました客観主義的態度でやりすごすとか。
最初に述べたように、南京事件の如き現代史学上の問題にして且つ極めて政治的な問題を語るつもりは、現時点ではありませんが、もし南京事件を語るようなことが仮にあったとしたら、わたしはわたしなりに、議論における問題の所在を掴み、論理的に整理することがなんとかできたらいいなと、思っています。
I 南京事件については正直あまり触れたくなかったのですが、ついつい【随想】としてちょっぴり語ることになりました。
現在も南京事件については活発な議論が行われ、最近では宮台真司が「南京三十万大虐殺説」を批判し、ネット上で宮台ファンの方々に反響をよんでいる模様です。ある宮台ファンの方は、宮台さんほど優れている人のことだから‥という姿勢で、あらためて自分の南京事件に関する既存の知識を、整理・再吟味しようとしています。
わたしは宮台が「優れている」かどうかここで判定することはできませんが、宮台さんのファンの方の気持ちはとてもよく分かります。
しかし、こと南京事件の如き現代史学的にして政治的な問題に関して、「宮台さんほど優れた人の言うことだから‥」と宮台発言を受け止める姿勢は、いささかナイーブではなかろうか?‥という気がします。
わたしなら、宮台は別に南京問題プロパーの実証史学者じゃないんだから、その「南京三十万大虐殺なかった」発言も、厳密な実証的学問的根拠を<自力>で確定した上で言ってるわけではなかろうな‥というくらいにしか受け止めません。
南京事件の虐殺規模・被害者数の如き歴史的事実(史実)の実証的学問的確定というのは、現代史家が何年も(ときには十数年も)心血を注いで出来る話です。実証史学のプロでもない宮台に出来るような問題ではなかろうと思うからです。
わたしは最初に、南京事件の議論においては、
a)<現代史・実証史学>レヴェルの問題
b)<思想的主体的>レヴェルの問題
c)<外交的政略>レヴェルの問題
を論理的に腑分けしそれぞれのレベルの相違を弁えつつ論じるべきだと述べましたが、宮台の場合、c)<外交的政略>レヴェルに定位して言っているのだろうと思います。
その宮台が犠牲者数「一万」云々というのは、おそらく偕行社『南京戦史』の南京事件総括とか板倉由明などを読んで、その立場に一番説得力を感じたとか、あるいは、最近アメリカで出版された北村稔「南京の政治学=偏らない調査」などを踏まえているという、「一読者レベルの話」でしょう。
でも「一読者レヴェルの話」なんてことだったら、たとえば渡部昇一とて同じでしょう。
英語学の渡部昇一はその道のプロの研究者として一級品という評価を受けているようです(敬愛する白川静が渡部を「優れた英語学者」と折り紙をつけている)。昔警備のバイトで一緒だった渡部門下生の話では、学者として一流であり人間的にも魅力的な人だそうです。わたしは、渡部の英語関連書は『英語教育大論争』ともう一冊(タイトル失念)を部分的に読んだ程度の門外漢ですから、白川や渡部門下生の評価が妥当かどうか、本当のところは判断が付きませんが、まあそうなのでしょう。
しかし、「渡部さんほど優れた人の言うことだから‥」という理屈で、“渡部さんの「南京大虐殺否定論」も傾聴に値する”とはならないでしょう。
宮台は実証史家じゃないし、南京事件の虐殺規模・被害者数というような史実の実証的学問的確定には、宮台の師匠の小室直樹の“法学の論理”が通用しないのと同じように、「システム論」なんぞ通用しない‥‥ということだけは、押さえておかなければならないと思います。【補論2 尊敬する知識人の言説から学ぶ態度 信頼と懐疑の<矛盾>の定立 】
(補注1)
ただ留意しておくべきは、<弁証法的>な思考法は、言葉にすれば数行で纏められる「単純」な話ですが、じゃあそういうものの捉え方を現実に出来るかどうか‥となるとこれはなかなかに難しい。
それはちょうど、「株の極意は底値で買って高値で売ること」と言うのは簡単だが、現実にそれを実践して儲けるのはもの凄く難しいというのと同じです。 じゃあ<弁証法的>な思考は高値の花で、もの凄く優秀な天才とか大秀才しか出来ないかというと、そんなことはないと思います。
三浦の『弁証法はどういう科学か』を読んだ人はもの凄い数になるでしょうが、“弁証法なんて訳に立たない”と放り出す人もまた多い。それは別に、その人の能力が低いからじゃあない。実は、啓蒙書としての『弁証法とはどういう科学か』そのものに内在する限界というか、三浦さんの責任といえる面もある。
この点「三浦『哲学』について」を参照して戴きたいのですが、ただ、いまあの文章を読み返してみて、内容的にちょっと修正を加えたい箇所があります。あの文章では、社会科学的なレベルで<弁証法>という<方法>を捉えることに主眼をおき、『弁証法はどういう科学か』の限界を論じているわけですが、
もっと一般的な<ものの見方考え方>という思考法レベルで、<弁証法的>思考(弁証法そのものというより)というものが成り立つのかどうか?‥
そのあたりの位置づけ方がきちんと出来ていない。(この点は【三浦つとむと<論理>】という別稿で論じたいと思います)
(補注2)社会科学者は、対象に内在する重層的立体的な<論理>を掴み(現象→構造→本質)、それを理論<体系>的に(本質→構造→現象)叙述していく。
社会科学者ではなくても、広い視野を持ち大きく深く物事を捉え<本質的>なものの考え方ができる人間は、物事の<本質>をズバッと直観的に鷲掴み、その<本質>から、A・B・C・D‥それぞれのレベルの問題を「区別と連関」において立体的に捉え返していく。(この点は「真理は単純であり複雑である」参照のこと)
【補遺 「白髪三千丈」の表現と文章の改訂について】
わたしがHPにアップした最初の文章は、次のようなものでした。
日本軍による組織的計画的30〜40万「大屠殺」という中国側の主張に対しては、白髪三千丈のお国柄で、しかも数字というものが政治的事情で伸び縮みする中共支配下の国だからなあ‥天安門事件のときには「学生の死者ゼロ」なんてぬかしてたし‥と、思います。
この文の中の「白髪三千丈のお国柄で」という箇所は削除しました。これは、朴斎雑志という方のHP
http://puzhai.cocolog-nifty.com/zazhi/2006/10/post_b81a.html
を拝見し、「白髪三千丈」の比喩を安易に使わない方がいいかなと判断したからです。「白髪三千丈のお国柄だから」という文言は、白髪三千丈のお国柄だから→中国人は体質的に嘘つき→だから南京大虐殺は嘘というロジックだと誤解されかねない表現だからです。
「白髪三千丈」という表現は、保守派の論客が南京事件問題で中国を批判するとき好んで使います。これは、「数字というものが政治的事情で伸び縮みする中共支配下の国だから、30〜40万大屠殺など信用できない‥」という意識を現したものです。
白髪三千丈のお国柄だから→中国人は体質的に嘘つき→だから南京大虐殺は嘘というロジックではなく、政治と文化の問題として考えれば、
@ 中国歴代諸王朝による強烈な専制支配の長い歴史と伝統
↓
A 政治が文化学術を従属させるという専制国家体制に特有の文化的伝統的体質
↓
B 数字というものも政治的事情で伸び縮みする
ということになるでしょう。
この「白髪三千丈」に絡めて、中国の政治と学術文化の問題をちょっと考えてみたいと思います。
<歴史家たるもの、実証的学問的に厳密かつ徹底的な史実の追求と確定に心血を注ぐべし!>
この近代実証史学のモットーは、西欧近代自由主義・民主主義的な基準での「学問の独立性」とか「学術文化の自立性」という<価値観>を前提として、その上に成り立っています。
<史実をして語らしめよ!>という<実証的精神>は、「学問の独立性」とか「学術文化の自立性」というレヴェルで、「不偏不党」の<客観的立場>を固守するという<価値観>が、歴史学のフィールドに現れたものと言えるでしょう。
この「学問の独立性」とか「学術文化の自立性」という<価値観>は、<世界史的近代>が達成した一つの歴史的成果であります。しかし、議会制民主主義国家においてはこの<価値観>は<政治制度的>あるいは<法制的>に無条件に守られる‥なんてナイーヴに甘っちょろく考えるべきではありません。
専制国家であろうが議会制民主主義国家であろうが、およそ国家権力というものは、それが権力である限り、政治的に不都合な学術文化的事実を「不都合な真実」として無視したり圧迫を加える抜きがたい傾向性を有し、あるいは政治的に都合のいい学術文化的諸成果を、政治的プロパガンダにおいて大々的に押し出すものです。
したがって、「学問の独立性」とか「学術文化の自立性」という<価値観>は、この<価値観>に自覚的に立脚し、これを保守しようという知識人・言論人の主体的努力と営為なしにはありえない。これは議会制民主主義国家においてさえ、「学問の独立性」とか「学術文化の自立性」は実質的形骸化空洞化の危険を内包しているということです。
そして、これが専制国家の場合には、この形骸化空洞化が<政治制度的・法制的>レベルで一挙に全面化顕在化常態化します。専制国家では、西欧近代自由主義・民主主義的な基準での「学問の独立性」とか「学術文化の自立性」がそもそも成り立ち難い。「学問の独立性」とか「学術文化の自立性」という<価値観>を、<政治制度的・法制的>に保証する体制ではそもそもないからです。これは、ファシズム、あるいはソ連・東欧・中国etc‥の悲惨な歴史的現実を見れば明らかでしょう。(補注)
とりわけ社会科学や近現代史、あるいはジャーナリズムの世界においては、ときの権力の御用を勤めることを潔しとしない硬骨の知識人・ジャーナリストは政治的迫害と弾圧を覚悟せざるをえない。ソルジェニーツィンや巍京生などの不屈の闘志と感動的な生き方は、専制国家体制というもののむごたらしさを逆にくっきりと浮き彫りにしています。
中国というのは、中国歴代諸王朝による強烈な専制支配の長い歴史と伝統を有しています。その専制の歴史と伝統の中で、
政治が文化学術を従属させるという専制国家支配下に特有の文化的体質
が長期に渡り培養され、近代以降も牢固として根深く中国の文化学術を規定してきた。中共支配下の大陸においても、国民党支配下の台湾においても。
そういう文化的伝統的体質が、苛烈な共産党支配下で強烈かつ濃厚に、あらたな装いと色調を帯びて蘇った(吉本風にいえば<アジア的なるものの復古的再生>とでもなるでしょうか)というところを、きちんと押さえておかなければならない。
このことを考えれば、日本軍による組織的計画的30〜40万「大屠殺」という中国側の“学術的”主張と数字を、その主張が孕む<政治性>と数字に込められた<象徴性>を見ずに、学問的実証的なレヴェルで受け止めるというのは、ナイーブであるということにもなるわけです。
もちろん中国も徐々に変わってきてはいるでしょう。たとえば、中国農村部の悲惨な実態を描いたルポルタージュ『中国農村調査』が発刊され大反響を巻き起こしたり、南京事件で言えば、南京大学の南京研究者が日本での講演で、「三十万人大屠殺」の数字は学術的なものとはいえないという反省の弁を述べたり。
しかし、改革開放のもとでの「自由化」には限界があり、現に『中国農村調査』は発刊後の反響のあまりの大きさ故にたちまち発禁処分になるし、インターネットなども当局が監視検閲し、国内での人権抑圧は相変わらず続いているというのが中国の現実です。
歴史教育で言えば、昔「ここがヘンだよ日本人」というテレビ番組で、中国人留学生が「中国は日本と違って他国を侵略したことがない」「チベットは中国領だから侵略ではない」という趣旨の発言をするのを聞き、ぞっとしたことを覚えています。これは中国人留学生の無知というようなものではなく、北京大学の超エリート女子大生がやはり「中国は有史以来一度も他国を侵略したことがない」と自信満々で言い放ち、日本人留学生を唖然とさせたというエピソードを、なにかで読んだことがありますから、あの国ではそういう中華思想丸出し党派性剥き出しの歴史教育を、現在進行形でやっているということなのでしょう。
まあ、中越戦争、文化大革命、大躍進などの歴史的事実を厳密に学問的実証的に明らかにして人民に教えちゃったら、共産党支配体制の根幹に関わるわけでできるわけがない。 中国の民主化すなわち中国共産党専制支配体制の終焉なしには、あの国が西欧近代自由主義・民主主義的な基準での「学問の独立性」とか「学術文化の自立性」という前提に完全に立脚することはできないでしょう。
(注) 中国共産党も、学術文化における「不偏不党」くらいのことは一応言います。しかしそれは、“ブルジョワジーのブルジョワ的党派的偏見に抗して‥”というくらいの意味しかなく、近代自由主義・民主主義の基準からする「学問の独立性」「学術文化の自立性」としての「不偏不党」ではないのです。彼らの立場と本音は、
眞理というものは、労働者人民の立場に立ち、労働者人民の立場を貫くことでしか捉えられないのであり、「不偏不党」の客観的な学問的立場などない
というところにあります。“ある特定の立場に立たねば眞理を得られない”(その立場は「労働者階級」であったり「人民」であったり「市民」であったり「殺される側」であったりする)というのは、<眞理の党派性>を承認することであり、“あらゆる党派を超えた客観的眞理などない”という主張の点で、ある種の<価値相対主義的発想>といえるでしょう。ところが、この<価値相対主義>的な<眞理の党派性>発想は、
ある特定の立場(労働者階級・人民・市民,「殺される側」etc‥)に立脚する<相対的眞理>としての<党派的眞理>を徹底的に突き詰めていけば、<絶対的眞理>に到達し、その<絶対的真理>に身を委ねることこそが<絶対的正義>なのだ‥
という<価値絶対主義>(正義としての真理)にも転化しえるものです。これが恐ろしい(この<価値相対主義>の<価値絶対主義>への転化のロジックは、「『マオ』を評す」補注で述べていますので詳しくはそちらを参照していただきたい)。
日本の左翼&サヨクは、たとえ主観的には「中国共産党と自分たちは別だ」と信じている人たちでも、こういう古くさい<党派的眞理>発想から抜きがたい影響を蒙り、かつ影響を蒙っている自覚がないのではなかろうか…、と思うことがよくあります。
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